現代の名工

甲田 米次郎 (こうだ よねじろう)

甲田米次郎

井戸堀り職人
明治39年
京都市伏見区生まれ
平成2年「現代の名工」

〜井戸掘り米次郎〜と人は呼び、米次郎が手がけた井戸は5千本を越える。
「19の時からずっとこの仕事。結局ねえ、商売というものは好きやなかったらあかん。いやいやしてるんでは続かん。地下から水が噴くのを見たら苦労は一ぺんに忘れてしもうて面白さだけが残るんや。穴を掘るだけでは井戸にならない。地下のどの水脈から水を取るかを決めるのが井戸掘り職人の腕の見せ所なんや。」

青物商をしていた父の末吉が、千葉県から来た井戸掘り職人の鮮やかな腕に魅せられて転業、さく井の甲田末吉商店を開いたのが明治36年。大正9年、高小を卒業した米次郎は2代目として仕事を始めた。当時の技法は上総掘りと呼ばれた。高いやぐらの上の滑車から先に土掘りノミを付けた鉄の掘り棒をつるす。これを大勢の作業員が力を合わせて約1m引き上げ、ドンと落とし縦穴を掘る。「昔の方法はドッコイショ掘りと言ってね、せいぜい6,7mぐらいしか掘れなんだ。 上総掘りでやれば深い深い水脈から水が取れる。100mも掘れば噴水した水で5,6m水柱があがったもんや。」

米次郎は永年の功績が認められ、平成2年にさく井業で初めて「現代の名工」に選ばれ、同年8月八十四年間の生涯を閉じた。社長時代も会長に退いてからも職人気質を忘れず、どのような現場も自分の目で確かめながら、井戸掘り職人としての人生を全うした。

 

 

 

伝統技法・上総掘り

大正時代の上総掘り上総掘りは、我々の祖先が種々改良を加え、進歩した掘り方としたものである。
上総掘りの特徴は、東洋特産の竹を使用する事にあると言って良い。

 

上総掘りは、井戸を掘る所に丸太と櫓と足場を組み立て、直径2m内外のヒネ車と称する木製の巻車を取り付ける。車の周囲には、割竹を所要の長さに接続したヒネ竹を巻き付ける。

 

ヒネ竹は、割竹の角を取って、大人の親指位の太さにした長さ4m弱(2間)の堀り竹であり、両端は鉄環等の接手で接続するようになっている。ヒネ車の中心を通って立てられた丸太に、モウソウ竹を何本か束ねて作った弓竹の大体の中心部をしっかり取り付け、片方は井戸の堀り綱を接続し、上下作用が出来るようにする。他の一方は、立てられたもう一本の丸太にしっかりとゆわえつける。

 

大正時代の上総掘り3人~8人の人力で、堀り綱を引けば、弓竹は下がり、堀り綱に接続されたヒネ竹は、その先端のノミで地層に衝撃を与える。堀り綱を緩めれば弓竹の弾力でヒネとノミは上がる。この操作を繰り返し繰り返し行い、段々深く穿孔する。堀鑿土がたまれば、ヒネ竹を引き上げ堀鑿土を捨てねばならない。

 

ヒネ竹の引き上げは、ヒネの巻き付けられた巻き車の中又は横に取り付けられた横木を人が足で踏んで、水車を廻すようにして巻き上げる。地層の堀鑿は、普通直径50~70mmのパイプを加工し、先に弁を取り付けたものを用いる。孔壁の崩壊防止の為に粘土水を注入する。固い層に遭遇すると掘れなくなるからノミに交換し、地層を砕き堀進する。孔が円く真直に堀鑿されるように、堀り竹を、ぐるぐる廻わし乍ら歌を歌い堀進して行く。


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